本因坊2次予選(01/12/20)
耀国七段(黒) 対 井口秀一郎六段(白) 黒259手まで、黒勝ち

(株)チャイニーズドラゴン新報社のご好意により、同社の「チャイニーズドラゴン」週刊紙上の蘇耀国七段の「私の一手」より転載。囲碁界の若きホープ蘇耀国七段の対戦相手とのエピソードを織り込んだ棋譜をお楽しみください。

明けましておめでとうございます。新年に入って、僕は約1週間の休みがありました。でも、休みは早く感じるのでしょうか? あっという間でした。皆さんはいかがでしたか? 

1月6日、僕は1年ぶりに富田忠夫先生(瓊韻社名誉九段)の家に行きました。僕は中学2年から中学卒業まで、2年間富田先生の家にお世話にお世話になっていました。当時14才だった僕と先生との年の差は69才もありました。だから、先生をはじめ奥様も僕を曾孫のようにかわいがってくれ、とっても優しくしてもらいました。先生の家は広い一軒家です。当時は僕を含め、先生と奥様、森川夕雨子さんと4人で住んでいましたが、それでもとっても広く感じました。怖がりの僕は自分の部屋がありながらも、夜になると、毎日のように布団を持って奥様の部屋に行って一緒に寝ていました。今になって思えば、もの凄い甘えん坊ですね。

今回1年振りに先生の家にお邪魔しましたが、本当に淋しく感じました。実弟子だった森川さんは4年前から先生の家を出ています。先生ご本人は体調を崩され入院中で、今、お宅には奥様1人だけです。僕はかなり反省しました。これからは、もっとよく顔を見せに行くようにしたいです。今回は、昨年の最終局を紹介します。自分では内容の濃い碁だったと思っています。

今回は僕の相手の井口さんを紹介いたします。彼は詰碁を作る才能がすばらしいです。なんと平仮名50音一つひとつの文字になっている詰め後を50問作りました。しかも皆かなりよい問題で、棋士の間で大変な話題となりました。普通の詰碁を作るのも大変なのに、こんな詰碁を作ってしまうなんて、本当にすごいことです。僕にはとても考えられません。

先日、久しぶりに中学の友達に会いました。珍しく、8人も集まりました。中には5年くらい会っていない子もいて、本当に懐かしかったです。意外なことに皆の顔はほとんど変わりなく、昔のままでした。でも、格好が急にサラリーマンやOLぽくなった友達もいて、少し笑っちゃいました。話の中心はやっぱり昔話です。中学2年の時、僕は富田忠夫先生(瓊韻社名誉九段)のお宅にお世話になることになり、それまで住んでいた日本棋院の寮の近くの学校から鶴川二中に転向しました。友達がいっぱい出来ましたが、その中の1人高見泰輔君とは特に仲良くなりました。彼はとても明るい子です。始業式の日、担任の先生から、僕と同じクラスの彼を紹介されました。日本語や学校で分からないことがあったら彼に聞いてね、と言われました。その日、一緒に帰ったら、なんと彼の家は僕の家(富田先生方)と30メートルくらいの距離でした。このため、登校する時は必ず彼と一緒、そして週5回は必ず一緒に遅刻していました。楽しい学校生活は早いもので、いつの間にか、僕たちは3年生になりました。きっと縁があるから、高見君とは一緒のクラスになると思ったら、なんと担任の先生の希望で、別々のクラスにされてしまいました。どうも仲良くなりすぎて、先生を困らせてしまったようですね。

中国の小説で一番有名なのは、「三国演義」「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」の四大名作でしょう。僕は昔から三国演義の大ファンでした。小さい時は、劉備玄徳が好きで好きで、将来は彼みたいな人になりたいと思ったぐらいでした。曹操孟徳は大嫌いでした。「なんでこんな性格が悪くて、残酷な人が天下の3分の2を統一出来て、天下の英雄になれるんだ」と思っていました。でも、年を重ねるごとに物事の考え方が少しずつ変わって、昔は不可解だったことが理解できるようになった気がします。確かに曹操は残酷な一面がありますが、そのかわりに政治力や決断力に優れ、一国を治める才があることは認めざるを得ません。彼は人徳がまったくないかというと、そうでもありません。彼は能力がある人には、とてもよくしていました。小説は面白いもので、年齢を経るに従い、同じ本を読んでも、全く違うように感じるので、なかなかやめられません。ちなみに、僕の親友の張栩君も三国演義の大ファンで、一番好きな人物は趙雲だそうです。なんといって趙雲将軍はたった一騎でも負けた事がないからです。

今回は僕の昔話をご紹介します。僕が始めて一人暮らしをしたのは16歳の時です。荻窪でアパートを借りました。僕は1人で長時間、碁の勉強をするのが苦手なタイプだったので、高尾伸路七段に相談をしました。彼も中野で一人暮らしを始めたばかりだったので話しが合い、近くにいるプロを集めて一緒に勉強しようということになりました。近所に住んでいる張栩七段、溝上知親七段が仲間になり、4人で研究会を開きました。名づけて「中野研究会」です。最初の頃は、皆やる気が凄くて、僕もそのために前日、碁の予習をするほどでした。でも、それも長くは続きませんでした。週1回だったのですが、朝10時という早い時間に高尾先生の家に行くことが苦痛で、よく遅刻するようになりました。本来なら怒られるはずですが、知親君も僕と似た者同士だったので、朝は高尾先生と張君の2人だけの研究会になってしまいました。そこである日、僕と知親君は決意しました。これからは遅刻したら1分500円だ! 皆も大賛成。それから----正確には覚えていませんが、いまだに2人は15万ずつ遅刻借金を背負っているようです。

日本棋院には東京本院、関西総本部、中部総本部があります。例えば東京本院所属の棋士が関西総本部の棋士と対戦が決まると、段位と年齢が格下の棋士が遠征します。そのため、若い人は1年間で5回位は大阪や名古屋に遠征に行きます。公式戦は10時開始なので、遠征する棋士は大抵前日一泊します。当日も終局時間によって終電がなくなり、もう一泊することも良くあります。僕は遠征が大の苦手です。新幹線だけで3時間も掛かるし、ホテルに着いてからは、道も分からないから、いつも部屋でぼーとしています。対局も、終電前に帰るため、もの凄い早打ちになったこともあります。そう思うと、普段、東京本院で対局できるのは、とても幸せなことですね。

 

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